古典日記:華夏の先声——万水千山を越えた響き(番外一)
古典日記シリーズ
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クラシック音楽番外編シリーズ
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華夏の先声——万水千山を越える響き(番外編一)
ともに華夏万年の音楽の第一歩を踏み出そう
序章:「無声」の歴史に耳を傾ける
蓄音機が発明されるまでの数千年間、音楽はこの世で最も儚い芸術だった。呼吸の間に、音が生まれてから消えるまでの全過程がひとつ完結する。その過程は繰り返され、日々を重ね、山間にたゆたい、百獣の鳴き声と響き合い、人々の暮らしとともに舞った。しかし華夏の先人たちによる音楽への創造と熱中は、すでに文明の遺伝子に深く刻み込まれていた。新石器時代の骨笛の澄んだ音から、周代の礼楽の荘厳で雄大な響きまで。漢代の楽府の世俗的な情感から、魏晋の名士たちの生命の絶響まで。これはおよそ一万年に及ぶ音楽史であり、文字・図像・出土した実物によって共に紡がれた「無声」の交響曲なのである。
この『古典日記』番外編一は、流れを遡り、文献の記録・考古学的発見・図像の遺存に依拠して、遠古から南北朝に至る長い期間における中国音楽の、萌芽から基礎の確立、そして多元的融合へと至る壮大な軌跡の再構築を試みる。残念なことに、この古典日記では再生可能な音源を見つけるのは難しいかもしれない。しかし、ひとつひとつの甲骨文字、一段一段の古籍の記述、一振り一振りの楽器の実物、一幅一幅の石刻壁画は、すべて万水千山を越えた独特の響きなのである。
第一楽章:音、八荒に起こる
華夏音楽の起源を論じる前に、マクロな文明比較の視点が極めて重要である。西洋、特にヨーロッパの音楽の起源は、古代ギリシャのエーゲ文明の初期音楽の遺存(例えばクレタ島の壁画に描かれたリラ琴)に遡ることができ、それらは多く宮廷の娯楽や叙事詩の吟誦と関連している。一方、華夏の音楽は最初から強い儀礼性・機能性・哲学的色合いを示していた。

右図は紀元前1350〜1300年のパライカストロ出土の土偶で、中央の小人がリラ琴を弾いて興を添えている
豆知識:東西の音楽の源流の違い
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材料と理念:ヨーロッパの初期音楽(例えば古代ギリシャ)は、より早く数学的比例(ピタゴラス律制)に基づく抽象的な音律体系を発展させ、楽器(アウロス、リラなど)はしばしば特定の神々(アポロン、ディオニュソスなど)の崇拝と結びつき、音楽が「心」(エートス)を浄化し教化する機能を強調した。対照的に、華夏の先人たちは自然の季節現象と人体の感覚出発して、音律を陰陽五行や四季の節気・気候と対応させ、「天人相応」という有機的なシステムを形作った。楽器の材質(土、石、革、木など)は直接自然から取られ、その製作そのものが天人を結ぶ行為と見なされた。
社会的機能:華夏の初期楽器の出土状況(多くは高級墓や祭祀坑にある)は、音楽がまず第一に権力・祭祀・秩序の象徴、単なる審美や娯楽ではなかったことを強く示唆している。これはメソポタミアのシュメール文明で楽器が神殿の財産とされた状況と似ているが、華夏の伝統はより早く、より体系的に音楽を国家統治の枠組みに組み込んだ(「礼楽治国」の原型)。一方、古代ギリシャの音楽はポリスの民主制と公共生活の中で、演劇の合唱や体育競技の伴奏など、より世俗化した側面を発展させた。
さて、信史(文字で記録された歴史)のある王朝を越えて、中華文明のぼんやりとした夜明けへと目を向けよう。音楽の姿は隠れていたわけではなく、より原始的で本質的な形で、先人たちの生存や信仰と織り交ざっていた。これは「有音」でありながらも「無音」に等しい時代——音はすでに祭祀の炎のそばで、祝勝の踊りのなかで、労働のリズムの中で鳴り響き、またすぐに歴史の風のなかへと消えていった。しかし、考古学者の手にある骨笛・陶壎、歴史文献の中の断片的な記録、そして岩絵や土器の紋様に凝固した舞の姿が、ともに私たちに華夏の最初の音へと通じる橋を架けてくれる。この時期の音楽の核心は、 「神巫の音」 から 「礼楽の源」 へと向かう長い基盤づくりとして総括できる。
音楽の起源について、中国の古籍には早くから素朴な推測があった。『呂氏春秋・古楽篇』には「昔、古朱襄氏の天下を治むるや……士達、五弦の瑟を作り、以て陰気を来す」と記され、『楽典巻・二十』には「帝堯、質に命じて楽となさしめ、質、乃ち山林谿谷の音に效いて以て歌ふ」という記述もある。これらの伝説はどれも、華夏音楽の起源が自然の模倣と陰陽の調和という古い観念にあることを指し示している。

右は[明]黄佐の著『楽典巻第二十』(嘉慶26年刊本)
豆知識:『呂氏春秋・古楽篇』抜粋の現代語訳、『楽典巻第二十』抜粋の現代語訳
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『呂氏春秋 古楽篇』より原文:昔、古朱襄氏の天下を治むるや、風多くして陽気蓄積し、万物解け散じ、果実成らず。故に士達、五弦の瑟を作り、以て陰気を採り、以て群生を定む。訳文:昔、朱襄氏が天下を治めていた頃、風がよく吹き、陽気が盛んで、万物が損なわれ散り散りになり、果実も実らなかった。そこで士達が五弦の瑟を作り出し、陰気を引き寄せて、民を安定させた。原文:昔、葛天氏の楽は、三人、牛の尾を執り、足を投げて歌うこと八阕。一に曰く載民、二に曰く玄鳥、三に曰く遂草木、四に曰く奮五穀、五に曰く敬天常、六に曰く達帝功、七に曰く依地徳、八に曰く総万物之極。訳文:古代の葛天氏の音楽は、三人で演奏し、牛の尾を手に持ち、足を跳ねさせながら八章の歌と舞を歌った。第一章は「載民」、第二章は「玄鳥」、第三章は「遂草木」、第四章は「奮五穀」、第五章は「敬天常」、第六章は「達帝功」、第七章は「依地徳」、第八章は「総万物之極」という。
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『楽典巻第二十』より原文:缶の器たるや、中は虚にしてよく容れ、外は円にしてよく応ず。中声の自ずから出づる所なり。原文:帝堯、質に命じて楽を作らしむ。質、乃ち山林谿谷の音に效いて以て歌ひ、乃ち麋の𩊚(革)を缶に置きて之を鼓す。故に歌には必ず鼓缶す。古の制なり。虞・周に至りて始めて之を去る。『舜典』に下管と曰ひて、埙・箎を言はず。者(これ)らは管に統屬するなり。後の埙を作る者は綿を以て土に和し、陶埴に由らず。其の制変はれり。訳文:缶という楽器は、中が空でよく受け入れ、外は丸くて共鳴しやすく、中和の音はまさにここから生まれる。訳文:帝堯は臣下の質に音楽を作らせた。質は山林や渓谷の自然の音を模して歌を作り、麋鹿(へいろく=大鹿)の皮革を缶の口に張って叩いて伴奏とした。そのため歌う時には必ず鼓と缶で拍子を取ったが、これは上古の制度である。虞舜・周の時代になって初めてこのやり方を廃した。『舜典』には「下管」(堂下で管楽器を吹奏すること)の記述があるが、壎(けん)や篪(ち)には言及していない。それは両者が「管」の類に統括されているからである。後世、壎を作る者は糸綿を粘土に混ぜて材料とし、陶窯で焼くことをしなくなった。その製法はすでに変わっている。
労働リズム説:『淮南子・道応訓』に載る「今それ大木を挙ぐる者は、前に『邪許』と呼び、後も亦これに応ず。此れ重きを挙げ力を勧むる歌なり」という、集団労働の中で掛け声が呼応するさまを直接描いた記述は、音楽のリズムと協働が原始的な生産の中に持っていた音の形態を反映している。

豆知識:『淮南子(淮南鴻烈解)』淮南鴻烈解巻第十二 抜粋の現代語訳
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原文:翟煎対えて曰く「今それ大木を挙ぐる者は、前に邪許(やきょ)と呼び、後も亦これに応ず。此れ重きを挙げ力を勧むる歌なり。豈に鄭・衛の激楚の音なからんや」と。訳文:翟煎は答えて言った。「今、大きな材木を運ぶ者たちは、前の者が『邪許』と掛け声をかけ、後ろの者もそれに続いて掛け声をかける。これは重い物を担ぎ上げ、力を奮い起こす歌である。どうして鄭・衛のあのような慷慨激越な音楽がなかったということがありましょうか」
豆知識:中国古籍の版本の出所の解説
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ここでは「四部叢刊景上海涵芬楼藏景鈔北宋本」という古籍の制作情報を例に、中国の古籍の出所(底本)表示方法を解説する。
1. 四部叢刊
- とは何か:これは中国近代における極めて重要な古籍叢書(大規模なシリーズ書籍)である。著名な学者・出版者である張元済らが主導し、上海商務印書館が1919年から1936年にかけて順次影印出版した。
- 目的:その趣旨は、中国で最も重要な経・史・子・集の四部の典籍を集め、その精善な版本(通常は宋・元・明代の貴重な刻本や写本)を、影印技術で原寸のまま複製し、千百に化身させて、学者の研究と後世への伝承に供するものである。いわば「古籍善本図書館」の影印コレクションに相当する。
2. 景
- これは「影」の通仮字(当て字)あるいは旧式の書き方で、意味するところは影印。『四部叢刊』が写真影印の方式で原書を原寸大のまま複製し、古籍の原貌(字体・版式、さらには汚損の痕まで含む)を最大限に保存したことを指す。
3. 上海涵芬楼藏景鈔北宋本
- 上海涵芬楼:これは上海商務印書館の蔵書楼の名称で、大量の貴重な古籍善本を収蔵することで知られる。『四部叢刊』に用いられた底本は、主に涵芬楼とその他のいくつかの大蔵書楼の収蔵品に由来する。
- 藏:収蔵する、の意。
- 景鈔北宋本:これは最も肝心な部分で、用いられた底本の具体的な性質を示している。
- 景鈔:これも「影抄」と同じ。「影抄」と呼ばれる古い複製方法を用いることを指す。薄い紙を原書に重ね、一字一字、一筆一筆、丹念に写し取り、原書の字体・書式と寸分違わぬようにする。これは印刷術が普及する前、珍本を複製する主要な手段だった。
- 北宋本:この影抄本が拠り所とした原底本、すなわち北宋時代(960〜1127年)に刊刻された版本。北宋の刻本は中国古籍の中でも時代が早く、価値の高い逸品である。
つなげて読むと:
「(本書の内容は)『四部叢刊』という叢書に由来し、その『四部叢刊』中のこの一書は、上海涵芬楼が収蔵する影抄本を影印したものであり、その影抄本はさらに北宋の刻本に基づいて丹念に写し取って作られたものである。」
版本の伝流の連鎖は、次のように表せる:
北宋原刻本(すでに散佚した可能性あり) → 影抄本(宋本の面影を複製) → 『四部叢刊』影印本(現代に流通する版本)
巫術祭祀説:古代の文献には、楽舞と祭祀の密接な結びつきがたびたび現れる。例えば『周礼・春官・大司楽』には「六律・六同・五声・八音・六舞を以て大いに楽を合せ、以て鬼神祇を致す」とあり、『楚辞・九歌』にも「屈原、放逐され、其の域に竄伏し、憂苦を懐き、愁思沸欝たり。出でて俗人の祭祀の礼・歌舞の楽を見、其の詞の鄙陋なるを以て、因りて九歌の曲を作る。上には神に事ふるの敬を陳べ、下には己が冤結を見はし、之に托して風諫となす」と記されている。これらも巫祭の楽舞の文学的な再現であり、音楽が人と神とを結び、儀式を行う上での核心的な機能を持っていたことを示している。

右一・右二は[戦国]屈原の著『楚辞』、四部叢刊景江南図書館藏明復宋本
豆知識:『周礼』抜粋の現代語訳、『楚辞』抜粋の現代語訳
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『周礼』より原文:六律・六同・五声・八音・六舞を以て大いに楽を合せ、以て鬼神を致し、以て邦国を和し、以て万民を諧し、以て賓客を安んじ、以て遠人を悦ばせ、以て動物(生きとし生けるもの)を奮い起こさしむ。訳文:六律・六同・五声・八音・六舞を用いて大合楽を行い、鬼神を感応させ、邦国を和睦させ、万民を調和させ、賓客を安心させ、遠方の人々を喜ばせ、万物を奮い立たせる。
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『楚辞』より原文:九歌は、屈原の作る所なり。昔、楚国南郢の邑、沅・湘の間にて、其の俗、鬼を信じ祠ることを好み、其の祠には必ず歌楽・鼓舞を作り、以て諸神を楽しませたり。原文:屈原、放逐され、其の域に竄伏し、憂苦を懐き、愁思沸欝たり。出でて俗人の祭祀の礼・歌舞の楽を見、其の詞の鄙陋なるを以て、因りて九歌の曲を作る。上には神に事ふるの敬を陳べ、下には己が冤結を見はし、之に托して風諫となす。訳文:訳文:『九歌』は屈原が創作したものである。昔、楚国の南郢の都邑、沅・湘の間では、風俗として鬼神を信じ祭祀を好み、祭祀の時には必ず歌い舞って、神々を楽しませた。訳文:屈原は流罪の後、転々と流れながら沅・湘一帯に潜み、心は憂い苦しみに満ち、愁思が鬱結していた。彼は外に出て地元の人々の祭祀の礼儀と歌舞の音楽を目にし、その歌詞が鄙びていると思い、そのために『九歌』の曲を作った。上には神に仕える恭敬の心を述べ、下には自分の無念と鬱結を表し、詩楽に自分の風諫(遠回しの諫言)の意を託した。
情感発露説:この説は、詩歌と音楽の起源を説く古典文献の中で特に際立っている。『詩経(毛詩)』は「情、中に動きて言に形はる。言の足らざる故に之を嗟嘆し、嗟嘆の足らざる故に之を永歌し、永歌の足らざる故に、知らず識らず手の之を舞はせ、足の之を蹈ます」と言う。これは内なる感情が自然に流露して、歌詠や舞踊の発生へと至る過程を明確に描き出している。

豆知識:『詩経(毛詩)』抜粋の現代語訳
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『詩経(毛詩)』より抜粋原文:詩は、志の之く所なり。心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す。情、中に動きて言に形はる。言の足らざる故に嗟嘆し、嗟嘆の足らざる故に永歌し、永歌の足らざる故に、知らず識らず手の舞ひ足の蹈むなり。訳文:詩とは、人の志が向かうところである。心の中にあるときは「志」であり、言葉に出すと「詩」となる。感情が心の中で揺れ動けば、言葉を通して表れる。言葉では足りなければ、嘆きの声を発する。嘆きでも足りなければ、声を伸ばして歌う。声を伸ばして歌ってもなお足りなければ、知らず知らずのうちに手を舞わせ、足を踏み鳴らしてしまう。
豆知識:『詩経』の構造体系
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一、『詩経』の構造体系
『詩経』は伝統的に以下のように分けられる:
- 风(15国風、全160篇)→ 『鄭風』はその一つである
- 雅(大雅・小雅、全105篇)
- 颂(周頌・魯頌・商頌、全40篇)
二、『毛詩』の版本体系
現在、私たちが最も普通に用いる『詩経』の版本は、前漢の毛亨(大毛公)が伝え、毛萇(小毛公)が注した『毛詩』であり、後に後漢の鄭玄が箋を作り、唐の孔穎達が『毛詩正義』を作り、公式の正統となった。
『毛詩』の編集構造は以下の通り:
- 分巻:全20巻(『国風』10巻、『小雅』7巻、『大雅』2巻、『周頌』1巻)
- 各巻内では「国風」または「雅頌」の順に篇目を配列する
- 各篇の後には「伝」(毛亨の解釈)、「箋」(鄭玄の補足)、「疏」(孔穎達のさらなる解説)を付す
信号伝達説:直接的な記述は少ないものの、『詩経』の例えば『小雅・采芑』の「鉦人、鼓を伐つ」は、軍中の楽器が進退を指揮する様子を描いており、信号としての機能が軍事の領域にまで及んでいたと見なせる。上古の伝説で鼓や鼙(つづみ)が警戒・召集に用いられたことも、音声という道具が社会集団の生活の中で情報を伝えるという実用的な起源を反映している。

豆知識:『詩経(毛詩)』抜粋の現代語訳
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『詩経(毛詩)》原文:𫛣(鴥)たる彼の飛隼、其の飛ぶこと天に戾り、亦た集ひて爰に止まる。方叔、臨み至るや、其の車三千、師干の試み。方叔、率ひ至るや、鉦人鼓を伐ち、師を陳べ旅を告げ示す。顕允なる方叔、鼓を伐つこと淵淵たり、旅を振るうこと闐闐たり。訳文:隼が急ぎ飛び、空高くまで飛んでも、また集まってここに止まる。方叔がやって来ると、その戦車は三千両、軍の武器の扱いは熟達している。方叔は軍を率い、鉦を撃つ者が戦鼓を打ち鳴らし、軍を整列させて出陣の号令を発する。英明で誠実な方叔は、戦鼓を打ち鳴らす音は深く轟き、気勢堂々と軍を整えた。
これらの推測は、音楽が原始社会において持っていた複雑で原初的な機能のネットワークを共に描き出している。音楽は労働を組織し情報を伝える道具であると同時に、祭祀で神と通じ、感情を表現する媒介でもあり、多重の役割が先人たちの生活と精神世界に織り交ざって共存していた。
幸いなことに、実証的な資料が伝説を次々と触れることのできる歴史へと変えてくれている。その中でも最も画期的な発見は、河南省舞陽県賈湖遺跡からの出土である。ここでは数十本のツルの尺骨で作られた骨笛が出土しており、今からおよそ7800〜9000年前のものである。それらは意識的な楽器製作であるばかりか、驚くべき音楽的性能を備えており、多くの骨笛が完全な七声音階を吹奏でき、変化半音さえ存在する。これは先人たちが音程の関係性を高度に自覚的に把握していたことを示し、単純な信号の発声をはるかに超えている。賈湖骨笛の出現は、中国ひいては人類の文献で確認できる音楽文明史を大幅に押し上げた。それは、中華文明が育まれる当初から、先人たちの音高・音階に対する感知と創造がすでにかなりの高みに達していたことを証明し、単なる音の玩具ではなく、意識的な精神的表現の道具だったのである。


骨笛の澄んだ音と呼応するのは、神州の大地でより広く見られる陶壎である。初期(例えば浙江の河姆渡遺跡)の単音孔の壎から、二音孔(三音列を奏せる)へと発展し、夏・商の時代(例えば甘粛の火焼溝、河南の殷墟)には成熟した三音孔の壎(完全な五声音階、さらにはそれ以上の音を奏でられる)に至った。殷墟の婦好墓から出土した五音孔の壎は、技巧が精緻で、音域はすでに十度以上に達し、表現力が豊かである。例えば河南安陽殷墟の婦好墓出土の壎は、泥質の灰陶で、表面は磨かれて滑らかであり、尖った頂部に一つの丸い穴が開けられて吹き口となっており、下腹部に五つの音孔があり、一面は三つで「品」の字を逆さまにした形をなし、もう一面は二つで左右対称となっている。

一方、山西省襄汾県の陶寺遺跡出土の丁陶鼍鼓(ワニの皮を張った木鼓)や山西省夏県の東下馮遺跡出土の石磬(初期の特磬)は、リズムと重低音のパートを代表している。特に各種の特磬は、その製作が打ち欠きから磨きへと進み、形が次第に整えられていったことから、実用の器物から礼楽の重器へと移行していく軌跡がうかがえる。黄河流域・長江流域に散らばるこれらの考古学的発見は、ひとつの事実を共に指し示している。すなわち、音楽の種は広大な中華の大地に、すでに多点的に芽吹いていたのである。

右図は夏代の石磬、今から約3500年前のもので、現存する最古の石磬と推測されている。
遠古と三代の音楽実践は、華夏文明に決定的な聴覚の遺伝子を注ぎ込み、その核心的な精神は最終的に 「八音」 という独特な体系の中に凝縮された。材質に基づく「金・石・糸・竹・匏・土・革・木」の分類は、単なる楽器の分類をはるかに超え、完全な宇宙の象徴体系を構築している。「金石」 の荘厳さは礼楽制度の権威の基盤を据え、「糸竹」 の婉転とした響きは旋律芸術の魂を育み、そして 「匏土革木」 は天地山川から生活のリズムに至る多様な音を集めている。この体系は音楽を単なる聴覚芸術から、天人を結び倫理を規範化する秩序の枠組みへと昇華させ、「礼楽」という観念を、実行可能で上演可能な典章制度へと具現化した。
豆知識:八音とは何か?
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「八音」は中国史上、最も早く、最も体系的な楽器分類法であり、儒家の経典『周礼・春官・大師』に記載されている。これは演奏方法(吹く、擦る、弾く、打つなど)による分類ではなく、楽器を製作する核心となる材料によって、多くの楽器を八大類に分けたものである:
- 金:青銅(銅と錫の合金)で作られた楽器。例えば 钟(編鐘)、铙、镈、錞于。その音色は雄大で、貫通力が強く、礼楽の重器である。
- 石:石材(主に石灰石・玉石)で作られた楽器。例えば 磬(編磬)。音色は澄み渡り、金石の声がある。
- 丝:絹糸を弦とする弾奏楽器・擦弦楽器。例えば 琴、瑟、筝、筑(後世の胡琴・琵琶なども弦が絹製であるため、この類に属する)。
- 竹:竹の管で作られた吹奏楽器。例えば 箫、管、篪、笛。
- 匏:瓢箪(匏瓜)を台座とし、竹管を挿して作られた簧(リード)楽器。例えば 笙、竽。
- 土:陶土を焼いて作られた楽器。例えば 埙、缶(時には陶製の打楽器を指すこともある)。
- 革:皮革を張って作られた打楽器。例えば 鼓(さまざまな形状の鼓)、鼗(振り鼓)。
- 木:木製の打楽器。例えば 柷(形は四角い斗のようで、楽を始めるときに打つ)、敔(形は伏した虎のようで、楽を終えるときに掻く)。
この体系のもとで、音楽のさまざまな特質は形作られ発展していった。 「糸竹」 の旋律線に対する極限の追求は、中国音楽が横方向の展開を核心とする審美の道筋を打ち立てた。「金石」 の音律に対する精密な調整は、独自の律学の伝統を推し進め、その原動力は常に楽器製作と礼楽の実践に奉仕した。さらに重要なのは、「八音」がそれぞれの材質の音を自然の元素や哲学的観念と結びつけ、「大楽は天地と同和す」という儒家の理想と、「天籟」という道家の境地に、物質的・儀軌的な確かなよりどころを与えたことである。以来、華夏の音楽は単なる感情の表現ではなく、宇宙秩序の音響による化身となり、その後の三千年にわたって絶えることなく続く礼楽文明と芸術精神を深く形作った。
第二楽章:巫覡、神と通ず
文字が生まれる前、楽と舞は渾然一体だった。青海省大通の上孫家寨で出土した舞踏紋彩陶盆は、その最も生き生きとした図像的証拠を提供している。盆の内壁には三組の舞者が描かれ、各組は五人で、手をつなぎ、足並みをそろえ、頭飾りと腰飾りが同じ方向に揺れている。これは決して普通の娯楽的な踊りではなく、学者たちは多くを祭祀または巫術の儀式を描いたものと考えている。先人たちの世界観において、秩序あるリズム、集団の動作、特定の掛け声や詠唱は、天地と通じ、神霊を召喚し、豊穣を祈り、邪悪を追い払う強力な力を持つとされていた。

『春秋正義』には「帝曰く、夔よ!汝に命じて楽を典らせ、胄子を教えよ……神人もて和す」と記されている。この言葉は後世の潤色を経ているものの、初期音楽の核心的な機能を的確に捉えている。「神人以和」。音楽(楽舞)は巫覡(初期の知識人であり祭司)が「神と通じる」ことを実現する媒介であり、宇宙の秩序と部族の安危を維持する精神的な絆だった。推測するに、最も初期の「音楽家」はおそらく部族の巫師(シャーマン)や酋長であり、彼らは超自然的な力と対話する「暗号」——特定の音調・リズム・舞踊——を掌握していた。

豆知識:『春秋正義』抜粋の現代語訳
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『春秋正義』より抜粋
原文:正義に曰く、『尚書・舜典』に云う「帝曰く、『夔よ、汝に命じて楽を典らしめ、胄子を教えしめん』」と。此れ夔は舜の典楽の官たるなり。「正」は長なり、「后」は君なり。故に「典楽の君長」と云う。王朝の公卿なる故に「后」を以て之を言ふ。猶お稷を「后稷」と謂ふがごとし。
訳文:訳文:『正義』は次のように解説する。『尚書・舜典』には「舜帝が言うには、『夔よ、お前に楽律を掌ることを命じ、貴族の子弟を教え導かせよう』」と記されている。これは夔が舜帝の時代に楽律を主管した官員であることを示す。「正」は長官という意味であり、「后」は君主という意味である。そのため夔を「典楽の君長」と呼ぶ。彼は王朝の公卿の重臣であるから、「后」の字を用いて尊称したのであり、稷を「后稷」と呼ぶのと同じである。
この「巫楽一体」の伝統は、華夏音楽の遺伝子における儀礼性・機能性・集団性という基層のコードを深く形作った。音楽は決して単なる聴覚芸術ではなく、社会行為・宇宙観・権力構造の現れでもあった。これは後に周代が音楽を高度に体系化・政治化するための、深遠な心理的・文化的基盤を据えた。
第三楽章:王者、功を頌す
部族連合が初期国家の形態へと進むにつれて、音楽の機能は単なる「神と通じる」ことから「王を頌える」ことへと拡大していった。伝説上の『大夏』(大禹の治水をたたえる)や『大濩』(商の湯王が桀を討ったことをたたえる)は、その実際の形態はもはや知る由もないが、文献の記述は、音楽が指導者の功績をたたえ、政権の正当性を示す重要な道具となっていたことを示唆している。『周易・豫卦』の爻辞「先王、以て楽を作り徳を崇め、殷(おほい)に之を上帝に薦め、以て祖考に配す」も、音楽が祖先を祭祀し、上帝を喜ばせて統治を固める上での役割を明らかにしている。
豆知識:『周易』抜粋の現代語訳
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『周易上経泰伝第二』より抜粋原文:『象』に曰く、雷、地より出でて奮ふ、豫なり。先王、以て楽を作り徳を崇め、殷(おほい)に之を上帝に薦め、以て祖考に配す。
訳文:『象辞』に言う。雷が地から出て、万物がよみがえる、これが「豫」(楽しみ・安楽)の象徴である。先王はこの卦象を見て、音楽を作って徳を尊び、盛大な礼儀で上帝を祭祀し、自分の祖先や父祖もともに(その祭祀に)列することを得させた。」
この転換の物質的な基盤こそ、青銅器時代の到来である。夏代の青銅楽器の実物についてはまだ議論があるものの、商代の輝かしい青銅文化は間違いなく音楽に革命的な変化をもたらした。甲骨文にはすでに「龠」(一種の編管楽器で、現在はその実体は不明)、「鼓」、「磬」などの文字が明確に現れている。殷墟婦好墓から出土した青銅編鐃(三つまたは五つを一組とする)は、旋律的な青銅打楽器の成熟を告げるものだった。これらの重器はもはや単なる発声の道具ではなく、権力・富・神聖な秩序の象徴である。それらは西周の壮大な鐘磬楽隊と礼楽制度のための、技術的・観念的な二重の基盤を敷いた。


第四楽章:文字の中の音楽
「楽」の字の本源を探ることは、先人たちの音楽観を理解する鍵である。甲骨文の「樂」の字については、主流の解釈が二つある。一つは羅振玉らによるもので、木の架に糸弦を掛けた形を象り、本義は楽器であるとする。もう一つは郭沫若らによるもので、穀物が実って茎葉に垂れ下がった形を象り、喜びの感情が転義されたとする。いずれの解釈も、美しい連関を指し示している——琴瑟の和鳴による愉悦であれ、五穀豊穣の祝賀であれ。『礼記・楽記』の言うとおり、「楽は、楽しみなり、人情の免れざる所なり。」音楽は生まれた当初から、人間の最も根本的な生存の喜びや感情の欲求と密接に結びついていた。

豆知識:甲骨文「樂」の字の詳解
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甲骨文は、木の上に琴の弦を張った形を表し、本義は木製の楽器であり、転じて音楽・楽しみ(快楽)の意となる。
甲骨文は「糸」と「木木」とに従ふ。羅振玉は「絲の木上に附く、琴瑟の象なり」と解釈する。字は木の頭に琴弦が付着する形を象り、本義は木製の楽器、転じて音楽・楽しみの意を表す。西周中期の金文はさらに「白」,「白」は拇指の形で、全字は指で琴を弾く意を会わせる(田倩君)。一説には「白」は追加された声符(音符)である(劉釗)。春秋以後、「木」あるいは「亦」の形に書かれる。子璋鐘の「樂」の字の字形を参照。楚系文字は「木」あるいは「矢」の形を見せ、『上博竹書二・容成氏』簡30に見える。また「白」はあるいは「幺」によって類化したもので、『上博竹書七・君人者何必安哉甲本』簡5を参照。
『説文』:「樂は、五声八音の総名。鼓鞞を象る。木は虡なり。」段玉裁の注:「『楽記』に曰く『物に感じて動き、故に声に形はる。声相応ずる故に変を生ず。変の方を成すを音と謂ふ。音に比して之を楽しみ、干戚・羽旄に及ぶを樂と謂ふ』。音の条に曰く『宮商角徴羽は声なり。絲竹金石匏土革木は音なり』。樂の引き伸ばして哀樂の樂と為す。」
甲骨文では地名として用いられ、『合集』33153に「才(在)樂。」、『合集』36501に「今日步于樂,亡(無)災。」とある。
金文では楽器を奏することを指す。井弔鐘:「其の子々孫々、永く日に鼓樂して𢆶(茲)の鐘を奏でん。」また動詞として用いられ、人を楽しませる意を謂ふ。敬事天王鐘:「㠯(以)て君子を楽しませる。」王孫遺者鐘:「用いて嘉賓を楽しませる。」『詩・小雅・鹿鳴』:「我に嘉賓あり、瑟を鼓し笙を吹く。」鐘銘に言及される「樂」はまさに「鼓瑟吹笙」と相類し、すなわち楽を奏して人を楽しませることを指す。令狐君壺:「我が家を康樂ならしむ」、すなわち我が家族を安楽・健康にさせる意。『史記・楽書』:「而して民康樂たり。」張守節の正義:「樂は安なり。」また「樂」はまた人名としても用いられ、樂乍旅鼎:「樂乍(作)旅鼎。」とある。
戦国竹簡は「樂」は音楽を指す。『上博竹書四・曹沫之陳』簡10-11:「晝寢せず、酒を飲まず、樂を聽かず。」また「樂正」という語があり、音楽を担当する官員を指す。『上博竹書二・容成氏』簡30:「舜乃欲會天地之氣而聖(聽)用之,乃立質㠯(以)為樂正。」は、舜が天地の陰陽の気を交会させて任用しようと望み、そこで質という名の者を立てて樂正としたことを指す。また人を楽しませることを指し、『上博竹書一・性情論』簡12:「好丌(其)頌(容),樂丌(其)道。」
終章:古今を遥かに望む
時光に埋もれた楽声を振り返るとき、私たちが聞くのは静寂ではなく、歴史の深奥で文明の遺伝子が最初に脈打つ鼓動である。賈湖骨笛が吹き出した七声の清らかな音は、すでに華夏の血脈に旋律への永遠の慕情を刻み込んだ。陶寺の鼍鼓と石磬の荘厳な響きは、音楽と天地の秩序をしっかりと結びつけ、ひとつひとつの音符に人と神とを通じさせる重みを宿らせた。巫者が歌い舞って神霊と通じた虔敬から、王者が鐘を鋳て功績を銘記した威厳まで、祭火と烽煙の中に消えていった響きは、実は決して本当に沈黙したわけではない——それらは礼楽の遺伝子となり、「大楽は天地と同和す」という哲学的な響きとして沈殿し、さらに曽侯乙編鐘の青銅の震動のうちに、人類の律学の知恵が驚くべき絶頂に達した。
遠古の楽音はすでに風とともに去ったが、骨笛・陶壎・鼍鼓・石磬が共に切り開いた音波の川は、常に文明の地層の下を奔流し続けている。それは『詩経』の「琴瑟在御」(琴と瑟が奏でられる)という温かな情を流れ、漢魏の相和歌の悲喜を流れ、ついには音で書き記された叙事詩へと合流した。いま、私たちが現代の歌い手によって新たに吟唱される『詩経』の古い詩篇に耳を傾けるとき、三千年を越えた想い・歓び・茫漠とした感慨は、依然として私たちの心に確かな波紋を呼び起こす——これはおそらく遠古の楽魂が最も心を打つ継承のかたちなのだろう。最初の旋律は失われたかもしれないが、音楽によって生命を安らげ、天人をつなごうとした憧れは、すでに私たちの精神の故郷に、永遠に消えることのない響きとして宿っている。
後記
本当に参った!古典日記の番外編の執筆は、私を深く不安にさせ、忸怩たる思いにさせた。華夏の子孫として、私は中華音楽の発展に対する認識が西洋のそれにはるかに及ばない。執筆の全過程を通じて、迷いと無知が私の主旋律であり、多くの同胞の主旋律でもあると信じている。古典日記の延長として、番外編シリーズは我が国の音楽発展の歩みに焦点を当てるもので、第一篇はまず我が国の紀元前の部分に焦点を当てており、すでに一万年以上の歴史がある。結びに推薦した現代の『詩経』創作も、ブログ主が最も愛する数枚のアルバムの一つであり、皆さんに我が国の悠久な歴史文化に宿る音楽の力と、文化が発展・繁茂し、声々絶えることなく受け継がれていく様子を感じていただければと思う。(全文9677字)
引用・出典
識典古籍-古籍オンライン読書プラットフォーム
陶寺遺跡元隊長・何努:「観象台」から説き起こす——堯はなぜ陶寺に都を定めたのか?|インタビュー_新浪財経_新浪網
夏都遺跡における石磬楽器の謎を探る
漢語多功能字庫 – 漢字甲骨部件分析



